日本の農業政策の中でも長く続き、多くの議論を呼んできた「減反政策」。
1970年から始まり、半世紀近くにわたって米の生産調整の中心に据えられてきました。
しかし、なぜ日本は米を減らすという一見逆説的な政策を始めたのでしょうか?
この記事では、減反政策が生まれた背景や目的、仕組み、そして廃止後の動きまでを時系列でわかりやすく解説します。
高度経済成長期の食生活の変化、農業技術の進歩、財政事情など、複数の要因が絡み合った歴史を紐解きながら、現代の農政にも通じる教訓を探ります。
減反政策はなぜ始まったのか?

3つの導入理由
1960年代後半の日本は、高度経済成長のまっただ中。経済成長とともに食生活が急速に変化し、米の消費量は減少傾向に入りました。
その一方で、農業の機械化や品種改良により収穫量は増加し、需要を大きく上回る供給が発生。
さらに食糧管理制度のもとで政府が米を高値で買い取り安値で販売する仕組みが赤字を拡大させる構造を生んでいました。
これらを同時に解決するために導入されたのが減反政策で、その目的は以下の3つです。
成果を測る指標
成果は在庫量、米価の安定度、農家所得などで評価されました。
後年になると水田の多面的機能や転作による戦略作物の生産拡大も評価項目に加わりました。
減反政策の基礎知識

「減反」「生産調整」「転作」の違い
- 生産調整:需給に合わせて生産量を調整する施策全般。
- 減反:生産調整のうち、水田の米作付面積を減らすことに特化したもの。
- 転作:減らした水田で他の作物(麦・大豆・飼料用米など)を作ること。
減反は単なる「作るな」ではなく、他作物生産を促す誘導策です。
実施期間と変遷
1970年に本格導入され、2018年産から国による数量目標の配分が廃止。
現在は産地や農家が自主的に調整しています。
歴史年表(参考)
- 1942年 食糧管理法施行
- 1969年 自主流通米制度開始
- 1970年 生産調整(減反)本格化
- 1995年 食管法廃止・主要食糧法施行
- 2018年 国の目標配分廃止
制度の全体像
当初は面積割当方式で、達成すれば交付金が支給されました。
2000年代以降は数量目標方式へ移行し、より柔軟な調整が可能に。
なぜその時期に始まったのか

食の多様化と米消費量の減少
1962年度の1人当たり米消費量は118.3kgがピーク。
その後はパン・麺類・畜産物の普及や外食産業の拡大により2022年度には50.9kgまで低下しました。
生産性向上による供給過剰
機械化や品種改良で単収が増加。1969年の作付面積は317万haでピークを迎え、その後も高い生産能力を維持。
兼業農家の増加
都市部の雇用拡大で兼業農家が急増。本業が農業でないため、価格下落時も生産をやめず過剰供給が続きました。
在庫増と財政負担
余剰米は政府倉庫に積み上がり、保管費や品質管理費が財政を圧迫しました。
政策決定の舞台裏

行政機関と食糧管理制度の役割
農林省は食糧管理制度下で米の流通と価格を一元管理。
不足期には有効な制度でしたが、過剰期には在庫と赤字を生む構造的欠陥がありました。
農協・自治体・生産者との交渉過程
減反は農協や自治体との連携なしには成立せず、説明会や交渉を重ね理解を得ていきました。
しかし現場では「米作りの誇り」を損なうとの反発も強かったのです。
価格支持政策との連動
減反は価格支持政策とセットで運用され、供給を抑えつつ高い買入価格を維持することで農家収入の安定を図りました。
具体的な政策手段

作付面積削減の割当方法
都道府県ごとに割当面積が決められ、市町村を経由して農家へ。
未達成の場合は交付金減額や翌年割当増という実質的ペナルティがありました。
転作奨励と対象作物
主な対象は麦・大豆で、近年では飼料用米、加工用米、ソバ、野菜なども奨励。
地域の需要と気候条件に応じた品目選定が行われました。
休耕奨励と土地改良
水田を休ませ地力回復や基盤整備を行う手段も用いられ、農業基盤の強化に寄与しました。
減反政策の影響

米価・在庫・財政
1970年代後半には在庫が数百万トン規模となり保管費が数百億円に。減反により在庫は減り、米価の暴落も回避されましたが、長期的な財政負担は残りました。
農家所得・経営多角化
交付金と転作作物の収益が農家の所得安定に寄与。だが交付金依存の体質や競争力低下の懸念もありました。
農地の流動化
規模拡大を目指す担い手が空いた農地を借りる動きが活発化。ただし地域内役割分担が流動化を制約する例もありました。
見直しと2018年以降

1995年:食糧管理法廃止と主要食糧法施行
戦後から続いた食糧管理法を廃止し、米流通を民間主体に。政府は備蓄や輸入管理に役割を限定しました。
2000年代:米政策改革と担い手支援
経営安定対策や水田活用直接支払制度が導入され、担い手農家支援の制度が整備されました。
2018年以降:自主的需給調整へ
国の数量目標配分を廃止し、産地や農家が需要に応じて生産を決める仕組みに移行。
政府は情報提供や交付金で間接支援を継続。
よくある誤解Q&A

Q1:減反は「米を作るな」という政策?
単なる「禁止」ではなく、転作による他作物生産が前提。
麦や大豆の国産化、水田の多面的機能維持も目的です。
Q2:減反は完全に廃止されたの?
2018年に国の配分は廃止されましたが、産地の自主調整や政府の間接支援は続いています。
Q3:減反が食料自給率を下げたの?
直接的な影響よりも、他食料消費増と輸入依存が主因。
転作により一部作物の自給率はむしろ向上しました。
Q4:農家保護だけが目的だったの?
財政赤字削減や価格安定も大きな目的。価格暴落は農家だけでなく地域経済にも影響します。
Q5:減反がなければどうなっていた?
米価暴落、在庫爆発、赤字拡大の可能性大。短期的には安価な米供給、長期的には農業衰退リスクが高まります。
まとめ

減反政策は、米余りという構造的課題を背景に、価格安定・所得確保・財政負担軽減という複合目的で導入されました。
2018年以降は産地主導の需給調整が基本となり、米だけでなく多様な作物を需要に応じて生産し、水田の機能を維持する政策が求められています。